紹運と道雪(1)

歴史上の人物のなかで私が尊敬している武将ががいます。

 テレビなどでほとんど紹介されることがなく大人になるまでその存在すら知りませんでしたが、たまたま郷土史家の書いた本を読んですぐに好きになり、いろいろ調べたら、これほどすごい武将が郷土にいたことにびっくりしてしまいました。
 その人物は大分の大友宗麟を支え続けた立花道雪と高橋紹運という武将です。
支えたといっても大分にいたわけではなく福岡と大宰府に山城を構えて博多やその近辺を守っていました。北から毛利や西からは佐賀の龍造寺・鍋島また南からは島津・秋月など頻繁に侵攻してきましたが、わずか3千人程度の軍勢で数倍から数十倍の軍勢を打ち負かすほどの戦上手でした。このことは武田信玄も伝え聞いて一度会ってみたいと希望するほどでした。
 

二人とも、当時の武将には珍しく忠義一筋で何かと問題の多かった大友宗麟のために、獅子奮迅の戦いを生涯にわたって貫き通しました。


 立花道雪という人は足が不自由なために若侍に輿をかつがせてその上から大声をあげながら軍団を指揮していました。といっても道雪自身も敵陣の中に突入して戦いますが、味方が恐怖で怖気づいたりしたら雷のような声をあげて叱咤激励をして奮い立たせ形勢を立て直し、戦を有利に展開していきました。入道頭のカミナリ親父が輿に乗った博多山笠のような状態を想像したらいいかもしれません。


 そして他家で不遇な境遇にあった侍を召抱えて十分な活躍ができるように計らい育成していき、さらに統治していた住民のためにも気を配っていたのでした。質実剛健を旨に卑怯な行為を嫌っていたので、街中で遊興をして油断している敵の大将を楽に仕留める機会があっても逆に警告を伝えて首を取ることをしませんでした。軍律はかなり厳しいもののどんな家臣も平等に大切に扱ったためか、道雪のために命を惜しまないものが多かったそうです。

それでは、道雪と紹運との関係はどのようなものか紹介しましょう。



 ともに大友宗麟の家臣団で、共同で作戦を実行してきた戦友同士ということになるでしょうが、年齢は道雪が年上で、親子ほどの年齢差がありましたので、紹運は道雪のその実直さと一途に忠義を貫き通し、また戦の巧みさや人望というものに尊敬をしていました。逆に道雪は紹運を若いにもかかわらず穏やかで芯の通った戦巧者を頼もしく感じたからかもしれません。そのため道雪には後を継がせる男子がいなかったので、婿養子に紹運の長男をほしがったのです。そして道雪は年下の紹運に頭を下げてもらい受けにきました。もちろん紹運は、驚いたに違いありません。・・・・・そうして紹運は長男を道雪に譲ってしまいます。この長男になる人は後の柳川藩を創設する立花宗茂という方です。


 斜陽ともいえる大友宗麟を離れて裏切る家臣が多い中でただひたすら愚鈍ともいえる一途さが、多くの敵将から大きな尊敬を受けて、野戦のなかで病死(73歳)をしたとき、追い打ちをかけるどころか一斉に戦をやめてしまい、道雪の訃報を伝え聞いて多くの敵将が涙してしまうのです。敵将から尊敬されていたのです。


戦った大きな戦37回小さな戦を100回ほどで、負けたことがないそうです。



 高橋紹運については、次回に続く






立花道雪に関する書物はあまりありませんが、小説になっているものを紹介します。
ただ、馴染みのない固有名詞が多く出てくるのでちょっと読みづらいかもしれませんが、慣れると結構楽しませてくれます。
 
           記

著者  西津弘美
題名  炎の軍扇 立花道雪
出版社  叢文社(そうぶんしゃ)

 




文字ばっかりじゃ飽きると思いますので、庭にいたキジバトの顔写真
ハトの顔(1)
デジスコで撮りました。(^v^)





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